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「知ることは、感じることの半分も重要ではない。」 レイチェル・カーソン
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空港に降り立った瞬間、少々面食らった。
ミャンマー、ヤンゴン国際空港。
タイを経由し、降り立つその地。成田空港よりも真綺麗だといえるのではないかと思う程、白を基調としたその空間は、清潔感に溢れていた。四方を見渡せば、空港を取り囲む窓ガラスが、全面に澄んだ景色を映し出す。
空港を出ると、ヤシの並木が、葉を風になびかせながら、心地良い風をつくりだし、ゆるりと力が抜けた体を出迎える。
そのままバスで市街へと滑り込む。すると、至るところで日本製の関東バス、近鉄バス、日産ディーゼル等見慣れた塗装とすれ違う。そのロゴや外観が塗り直されることなく、日本製の中古車が、当たり前のようにミャンマーの日常風景として溶け込み、市内をひた走っている。思わず、あのバスは日本で乗ったことがあるの、と声を上げてしまいたくなる衝動に駆られ、予期せぬ光景に胸がはずんだ。
全体的に赤茶けた印象を持つものの、意外な程、豊かな緑が街を彩り、道路は広い。
英国の植民地時代の影響からか、中心街にはヨーロッパ風の煉瓦建築が軒を連ね、
ビックベン宜しく瀟洒な時計台も築かれている。
そして、圧倒的な佇まいで、ヤンゴンの中心に位置する、
黄金の聖なる仏塔「シュエダゴンパゴダ」。
圧巻の極み。
全面金箔に覆われ、小高い丘に広大な境内を構える巨大な仏塔は、
その切先を垂直にミャンマーの虚空へと突き出し、輝きを全方位へと放ち続けていた。
仏教徒でないものすら、崇めさせる威力を持っているのではないか。そう思わせる程に、極上の荘厳さを誇り、街中を静かに制しているようだった。境内をくぐれば、掃除が念入りにされた幅広い廊下が続き、穏やかな表情の涅槃仏の前で、熱心に人々が祈りを捧げている。
国民の80%が仏教徒であるミャンマー。老若男女問わず、至るところで境内を散策し、家族連れも多い。ロンジーと呼ばれる巻スカートをはいた人々、そして、両頬にタナカと呼ばれる白い天然化粧品を施した子どもたちが、時折互いを追いかけまわしながら、笑いころげている。赤い袈裟をまとった僧侶らも、お経を唱える者もいるが、のんびりと仲間と談笑しては、こちらと目があうとはにかんだ笑顔で応えてくれる。
黄金のパゴダの背には、ぽっかりと青空にたゆたう綿あめ雲と、勢いよく隆起する入道雲の双方が、頭上に広がる大空を自由に伸縮し、その煌びやさをさらに際立たせる。
本日は晴天なり。
青と白と金の色彩が調和したとき、その絵は完璧だった。
---美しい。
何もかもが、
平穏だった。
今、この瞬間をずっと感じていたくて、
ひんやりとした石畳の上に、
私は、
ひたすらに、
座り続けていたかった。
見るものすべてが、それまで描いていた「ミャンマー像」を通り越し、 ただただ、
美しかったのだ。
***
毎年、日本に逃れてくる難民の出身国で一番多いのが、「ミャンマー」だと知ったのは昨年の春頃だったと思う。
表参道にある国連大学の前で、連日30人程の人々が横一列となって、ビルマの国旗とアウンサンスーチー氏の写真を掲げ、一日中座り込んでいる姿を見ていた私は、ミャンマーという国を意識しはじめた。
日本人ジャーナリストが射殺された9月、ハンガーストライキをする人々の姿をみた。
そして、大型サイクロン「ナルギス」が起きた今年5月。
何が起きたのか、知りたかった。
「軍事政権」
そう非難されるこの国が、海外の支援物資や立ち入りを頑なに拒否し、報道されるニュースも極めて限定的であるなか、得られる情報は極めて少なく、サイクロンで川に放置された遺体、軍と衝突する僧侶らの緊迫した状況、民主化への渇望、少数民族への弾圧。極めて批判的な情報ばかり耳にした。
「軍事政権」=「危険な国」
厭が応にも自然とその図式が成り立ったのか、
出国前は、ミャンマー行きを周囲に随分と心配された。
しかし、何故デモは起きたのか。
何故、軍政は存続し続けるのか。
何故、日本にはミャンマーからの難民が多いのか、
何故、日本はビルマと呼ばずに、ミャンマーと呼ぶのか。
そして、そこに生きる人々は何を感じているのか。
留まることのない問いに対し、
それを、第三者の誰でもなく、
私は自分自身で、
聞きたかったし、感じたかった。
***
しかし、どうだろうか。ヤンゴンに来てからというものの、こちらが戸惑うくらい、街は平穏で、日常を紡ぎ続けているのだ。
(続く)
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