最近、「地域政治史」という授業で、私の住んでいる坂戸市の歴史について調べる機会がありました。
いわゆる、レポートというやつですが…笑
”1920年~1940年代の”という限定がありましたので、実は なかなか資料が見つからず、苦戦していました。
どの分厚い資料を手にとっても、何故か1920年~40年代が抜けているのです。
その理由は結局わらかなったのですが、資料がないことには始まらないので、私は40年代以降で最も資料が多い昭和20~30年代について調べることにしました。
資料を読み始めてみると、まさに、”知らない坂戸市”のオンパレードです。
まるで日本史で勉強した歴史変遷の縮図のように、私の住んでいるたったこの小さな地域でもこんなに色々な出来事があったのかと感心しました。
そしてなかでも私が目を引かれたのは、当時の学生で結成された「青年団」です。
自身が学生団体に所属していることもあって、一体昔の学生はどのような動機付けで学生団体を発足し、どのような目標や理念を掲げて活動していたんだろうかとワクワクしながら読み進めました。
ここで、坂戸市で活躍した青年団「大家青年団」について少し触れてみたいと思います。
大家青年団は軍隊から復帰した青年達を中心に構成された団体で、戦後まもなくに発足されました。
活動の根幹にあるのは「社会の欠けている部分を補う」ということで、夜警や川浚いなどの社会奉仕活動に加え、運動会・映画会などを催して地域の人々に娯楽を提供することも行っていたそうです。
まずここで驚いたのは、この若者の”地域に関わろうとする積極性”です。
地域をよりよくしたい、と問題意識や目的を持つだけでなく、実際それを行動に移し活発に努めていく学生達の勢いと真摯さに感服しました。
しかし、やはり青年団にも”学生ならでは”のおちゃらけの部分もあって、青年団内では最高に盛り上がる行事の「素人演芸会」というイベントは、周囲からは「やくざ踊り」や「踊る青年団」と批判・軽蔑されていたそうです。
そんな風潮に危機感を持った文部省が通達を発し、「奉仕する青年団」から「学習する青年団」への転換を要請。
それに応じて青年団は機関紙や文芸誌の刊行を開始しました。
今日にもその史料は残っているとのことで、機会があればぜひ見たい!
その他「学ぶ青年団」としての活動として弁論大会も開催され、大変活気のある雰囲気だったといいます。
しかし、そんな青年団も、最後は若者が都会に流出してしまったことを原因に頭数を失い、廃れていってしまったそうです。そこが少し残念でしたが、昔の学生の行動力には本当に脱帽!!
もちろんスポンサーがいなかったわけではないようですが、今の学生団体と違い昔の青年団は100人単位です!
その団体を率いて機関誌を発行していくというのはなかなか立派なものだと感じました。
(一部の人間のみで機関誌を発行していた可能性がないわけでもないですが…;)
なので、昔の学生に負けないように、「今の学生もアツいんだぞ!!」とメンター・ダイヤモンドを更に盛り上げていけたらと思います♪
(獨協大学 丸賀江里子)
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