
米国人セールスマンですら成し遂げられなかった商談を海外赴任先でまとめた私は、そのとき日本の本社でも知られる存在になっていました。
1991年、当時勤めていた大手商社のIT事業会社がニューヨークオフィスを立ち上げることになり、そのメンバーの1人にシステムエンジニアだった私も選ばれました。30歳のときのことです。
当時の私は、社内留学制度によってスタンフォード大学大学院でコンピュータサイエンスの修士号を取得した気鋭の技術者という自負がありました。はたから見れば、多少、天狗になっていたかもしれません。
しかし、始動したばかりのニューヨークオフィスでは売り上げを伸ばすことが最重要課題で、私が習得した専門知識に対しては、あまり価値を感じてないようでした。
「とにかく売上げ」。そんな社風の中で、それならば営業で成績を上げ、認めさせてやろう。そう思い、自ら営業を買って出ました。
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