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生田 - 奥田さんの経歴を見ると、マニラ駐在の経験がありますが?
奥田 - 私に関して活字になっているものを見ると、マニラに飛ばれたとか左遷されたとか、そういうことが書いてあるのだけれども、確かにあの当時、優秀といわれている社員は、だいたい米国とかヨーロッパの大きな国とかに赴任していました。
生田 - それでは報道どおりの…?
奥田 - いやいやそれが誤解なのです(笑)。
私はずっと経理でやってきたわけです。自慢じゃないですが、トヨタのなかでもいちばん長期間にわたって数多くの営業報告書(現:事業報告)を作ってきたのは、じつは私なのですよ。そのくらいずっと長いあいだ、経理にいたわけです。
16〜17年間も経理にいたものですから、飽きてきましてね。もちろん、経理のなかでは、規則でもシステムでも、おかしいものがあると変えるとか、そういう変化は絶えず起こしていたのですが、それでもやっぱり飽きてきましてね。
そうしたときに、東南アジアでエンジンを作るという話が起きたのです。エンジンは、自動車のいちばん中心の主要な部分ですから、これを海外で作るということは、当時は大変な経営リスクを伴うことで、日本の雰囲気からすればありえない話だった。
しかし、私はむしろ乗り気になりまして、「俺がやる」「俺がやる」というかたちで出て行ったのが真相です。別に左遷されたわけではなかったのです。
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